■ 第18回BunDoku哲学カフェ開催報告

 

テーマ:「故郷とはなにか」
日 時:2015年12月5日(土)19:00~21:30

会 場:カモシカ書店(大分市中央町)
参加者:18名


BunDoku哲学カフェ、ファシリテーターの志水です。第18回目のBunDoku哲学カフェを開催しました。今回は初参加者合わせて18名の参加者の方々にお集まりいただき、たいへんありがとうございました。


今回のテーマは「故郷とはなにか」です。
対話に入っていく前にみなさんが考えるところの故郷について聞いてみました。母なる大地、父母がいる所、アイデンティティ、落ち着く場所、うさぎ追いし かの山♪、会いたい人帰りたい場所、育った場所、故郷の感覚がない、家族のイメージ、悪く言われると腹が立つ場所、あるようでない/ないようである、修羅、今自分が住んでいる所、祖父母のいる所、懐かしい日々が甦る場所、人との再会、人こそが故郷、近いと鬱陶しい、離れると懐かしい、地に根ざした感情、人間形成された場所、帰る所、戻れる所、「ただいま」と言える場所、五感に響く風景、死に場所となるようなイメージ、愛憎、既視感、自分のルーツを意識させてくれる場所、「ここにいてもいいよ」、居心地のいい場所、帰ってきたと感じられる場や人。
風景という切り口で聞いてみたところ、山や植生、緑の濃さや息吹といったものが原風景となって、その人間のアイデンティティや人間形成に大きく影響されるといった話もあれば、ただマンションの無機的な隣人との交流もない中やパチンコ屋の騒音に囲まれて育ってきたという話もありました。その他にも育ってきた食や墓というものが縛る力、あるいは記憶にある故郷の風景の喪失、それに並行する「大きな物語」の消失といったことが語られました。
最後にもう一度参加者全員に故郷について問うたところ、それぞれに発見や気づきがあったようで、対話を通じて新しい認識へと至る哲学カフェの醍醐味が体験できたのかなと思いました。中でもある参加者の初めは故郷に住むことだけは今後選択肢としてないだろうとしていた考えから、これから故郷に住んでみる必要があるのかもしれないという考えへの変化には驚くものがありました。


今回テーマを「故郷」に設定したときに、2時間半の対話が続くのか、事実を追認するだけの会になってしまうのではという杞憂もありましたが、みなさんの話を聞くことで紋切り型ではない故郷のイメージ、過去形ではない現在の生と直結した故郷の有り様がひしひしと感じられました。「あるようでない、ないようである」ものにこそ、人は翻弄され続けているのかもしれません。 


全体を通して私が考えたのは生まれてくる故郷というのは選べない偶然性のものであるが、そこに主体的に意思やある決意を通し関わっていく、もしくは自律的でないにしても(選べない転勤先や嫁いだ先であっても)家や墓、地域のお祭り、また親の介護の存在といったものが土地と人を結びつけ(縛りつけ)ることで、偶然を必然に変え(変わり)、偶然であるからこそ(そこに賭ける)唯一無二のような個人と故郷の関係が生まれる、あるいは再度故郷を発見するというプロセスが流動性の高くなった現代に各人のなかで起こっている(もしくは試されている)出来事なのではないのかと。それと一方で故郷にこだわらず、いろんな場所に住める人の強度(スキルやコミュニケーション能力も含めた)そのたびごとに人間関係を構築できる力といったものもあり、それは無縁社会を強烈な個の力によって(故郷の物語に回収されない速度で)横断していくノマドなライフスタイルなのかもしれないが誰にでもできることではないのだろうなと。

※ 故郷を考えるうえで国を追われた亡命者の人生(亡命先での充実した仕事、開花した才能)も一考に値する。私の敬愛するアンドレイ・タルコフスキーやジョナス・メカス、アントニオ・ネグリ、アインシュタインなど。


そして(家族だけでなく)「おかえり」と言える場所(同時に「ただいま」と言われる場所。それを言ってくれる人の存在/言われる私。言葉を交わさずとも)があるというのは、個人の尊厳に関わる、無条件的な受け入れ(許しも含めた)場所としての重要性を感じましたし、(対話の中で出たあるエピソード、小さな島に生まれ少しだけしか住んでいなくて今は外部の人間なのに、今でも私は「島の人」として島の人から認識されていることを本人は困惑していましたが私はそこに古くて新しい希望を感じた。若い時には鬱陶しく感じられる社会的包摂)それが現代において失われているのであるならば、たとえばこのような読書コミュニティのような形でも縁をつくり継続していく意義と必要性があるのだろうと思いました。震災以後の大きなテーマでもありますね。



年内最後のBunDoku哲学カフェとなりました。参加されたみなさま、運営スタッフのみなさま、お疲れさまでした。楽しい会となりました。ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

BunDoku哲学カフェは来年も月1回のペースで開催いたします。話すテーマや会場選び、進行方法など趣向を凝らして実りある対話に繋げていきたいと考えています。どうぞ今後ともよろしくお願いします。



〈参考〉


「正しい街」椎名林檎 http://j-lyric.net/artist/a00450a/l000c5b.html