■ 第9回BunDoku哲学カフェ開催報告


テーマ:「当事者とはだれか? ~それぞれの3.11を問いなおす~」
日 時:2015年3月1日(日)19:00~21:30
会 場:カモシカ書店さん(大分市中央町)
参加者:18名

 

BunDoku案内人のAkihisaです。
今回のBunDoku哲学カフェではファシリテーターを務めさせていただきましたので、報告いたします。

今回は、「当事者とはだれか? ~それぞれの3.11を問いなおす~」ということで、BunDoku哲学カフェで初めて震災関係をテーマに対話を試みました。
3.11から4年が経とうとしていますが、あの震災に関して、特に地震・津波の直接的な被害を受けていない九州では、誰かとじっくりと話す機会というものが持ちにくいように感じていました。しかし、それがたとえ困難な試みであるとしても、今を生きる一人一人がしっかりとあの震災と向き合う機会があっても良いのではないかとの想いから、今回の対話に臨みました。

まず初めに、参加者の皆さんから、3.11のあの日、どこにいたのか、何を感じていたのかを話していただきました。震災当時、東京に住んでいた人が意外と参加者のなかに多く、地震の揺れの激しさや、東京という大都市が混乱した姿がありありと語られました。
当時九州にいた参加者、あるいは海外にいた参加者は、テレビやインターネット上に次々に流れてくる生々しい被災地の映像や証言から、「日本が大変なことになった」というスケールでの「当事者」(=日本人)という感覚が生まれた、との発言がありました。
また、もちろん一般化はできませんが、関東出身で当時東京で働いていた人間と、関東以外の地方出身で当時東京で働いていた人間とで、震災後そのまま東京で働き続けるか地方に逃れるかに関する意識の違いを感じた、という視点も語られました。

続いて、震災から今に至るまで何か意識や行動で変わったことはありますか、との問いかけに対して、「放射能が怖いので大分に引っ越してきた」、「どこに住むかを考えるのに地震や津波といった自然災害に強い場所かを考えるようになった」「最低3日分の水・食糧は備蓄している」「人との繋がりの重要性をより強く感じるようになった」等の発言がありました。

後半では、「自治体の防災対策」「自分の家の最寄りの避難所の把握」「避難するときは車ではなく走って」「避難訓練の実施やその情報の共有」「住民全員が最低限の備蓄を」といった、あの震災を経ての反省と具体的に我々ができること・準備するべきことについての言及が続きました。
また、今回の震災が自然災害だけでは片付けられない、原子力発電所の事故についても話題が及び、(自然災害の直接的な被災の程度は地域によって様々であるとしても)「少なくとも原発事故後の日本に生きているという意味で、我々は全員が当事者である」との意見が出されたところで時間切れとなりました。

以上、今回はテーマから、いつにも増して重苦しい時間になったかもしれませんが、「楽しい」ことだけが意味や価値のあるすべてではないと思っています。
悲しい出来事、理解できない出来事について語ることが困難な作業であることを十分に心得たうえで、それでも参加者一人一人があの出来事を振り返り、知識でもなく誰かの受け売りでもなく、静かに辛抱強く自分自身の言葉を紡ぎ出し、あの震災と向き合う姿に、この場を開いた意味を確かに感じました。

ご参加いただいた皆さま、どうもありがとうございました。

終わりに「日本に住んでいるのなら被災地は必ず見ておくべき」との発言が参加者からありましたが、私自身もそう感じています。私は2012年に陸前高田市にボランティアに入って以来、今も2ヵ月毎に東北を訪れていますが、被災地はボランティアだけでなく、通常の訪問客を受け入れる態勢が整ってきています。
あの震災を風化させてしまわないために、多くの人が被災地を訪れ、また同時に消費行動によって被災地の復興の後押しになればと思います。