■ 第21回BunDoku哲学カフェ開催報告

 

テーマ:「別れとはなにか」

日 時:2016年3月27日(日)18:30~20:30

場 所:ホルトホール(大分市)

参加者:14名

 

BunDoku哲学カフェ、ファシリテーターの志水です。第21回目のBunDoku哲学カフェを開催いたしました。今回は14名の参加者の方々にお集まりいただき、たいへんありがとうございました。(女性5名、男性9名。そのうち初参加者が3名で、珍しく男性の参加者の方が多い会でした)


今回のテーマは3月ということもあり「別れとはなにか」にしました。
対話に入る前に参加者のみなさんに別れについて考えているところを聞いてみました。
〈新たな始まり〉、〈死ぬこと〉、〈一つの区切り〉、〈別れは分かれ〉、〈脱皮するような飛躍のきっかけ〉、〈1回性〉、〈もう戻れない不可逆的なもの〉、〈主体の引き裂き〉などが挙げられ、別れにはある極まった感情や情念といったものが必ず伴うとの指摘もありました。
身内の死や愛車の廃車、学校の廃校など、具体例を挙げながら対話は進み、「別れ」が別れとして完成するためには時間が必要で、別れは始めは受動的(非意思、偶然性、一回性、痛み)に訪れるのだが、儀式を通したり、内省することによって主体的、能動的(意思決定、必然性、再帰性、緩和)なものに変えて乗り越えていくのが人間精神のはたらきで、人が生きることそのものなのではないのだろうかというのが対話全体を通した私の理解でした。
最後ここにインターネットで「繋がってしまう」ことへの問題提起があり、「別れ」の反対は「出会い」でそれを斜めのベクトルでみると「再会」になるのだが、町中での偶然の再会ならともかく、SNS上での不意の再会は、別れの一回性がなきものにされ、別れるべき別れが、葬った過去の人間関係が亡霊にように不必要に甦るという、SNSの無粋さについて語られました。

まだまだ話し足りないところで終わりましたが、参加されたみなさま、運営スタッフのみなさま、お疲れさまでした。楽しい会となりました。ありがとうございました。
BunDoku哲学カフェは今後も月1回のペースで開催いたします。話すテーマや会場選び、進行方法など趣向を凝らして実りある対話に繋げていきたいと考えています。どうぞ今後ともよろしくお願いします。