■ 第29回BunDoku哲学カフェ

 

テーマ:「人が人を嫌いになるのはどういう時か」

日時:2016年11月20日(土)18:30~20:30

場所:ホルトホール(大分市)

参加者:11名

 

ファシリテーターのミキです。第29回BunDoku哲学カフェは、初参加の方3名を含む計11名での開催となりました。参加者のみなさま、運営スタッフのみなさまお疲れさまでした!

 

「嫌い」というネガティブな感情とおのおのが向き合いながら、人と人が共に生きていくことをじっくり考えた2時間でした。対話の一部をご紹介します。

 

===対話前のイメージ===

 

〈助けを求めているのに無視された〉、〈期待が失望へ変じた〉など、相手に求めるものが得られなかったとき。〈自分の心や身体を正当な理由なく傷つけられた〉、〈大切な人を傷つけられた〉など防衛の必要性を感じたとき。〈嫌らしさが見えた〉、〈不誠実なところが見えた〉など、相手の行動に自分の嫌う特徴をとらえたときなど、さまざまな見方が語られました。

 

===対話===

 

〈まず嫌いという感情が先にあって、後から理由を探す人が多い気がする〉、〈付き合っていかないといけない人は好きになろうと努力する〉、〈嫌いを小出しにできないと嫌いになる〉、〈自分でも分からないような嫌いの感情があるのでは〉など、私たちは人を嫌うことをなるべく避けつつ、「嫌い」という感情に正当性を持たせようとする傾向があることが浮かんできました。〈不安から逃れるために人を嫌いになることもあるのかも〉など、自分を守るために人を嫌うのかもしれないという指摘もありました。

 

嫌われることをどう思うかという問いには、〈誤解によって嫌われることは嫌だなぁ〉、〈嫌われてでもしたいことはする!〉、〈関係性の濃淡による〉、〈人を好きになることだけはやめたくない〉など。なぜ嫌われるのがいやなのかという問いには、〈私の存在そのものを否定されている気分になるから〉などが語られました。

 

また、今回は参加メンバーから豊富なエピソードが語られました。なぜその人を嫌いになったのか自分でもわからず戸惑った、10年以上かけて友人と仲直りした、血のつながった親戚であっても嫌わざるを得なかった……など、それぞれにとって重みのある大切な体験が語られました。

 

===対話後のイメージ===

 

〈やっぱり誠実に生きている人が好き〉、〈個人の成熟と関連する。感情や生理的反応にどう自分が向き合うか〉、〈結論は出なかった。ただ、そんなに気にしなくていい。人を嫌うのは悪いことではないんだと感じて、自分の気持ちに素直になりたいと思った〉、〈嫌いな人を好きになる方法、関係の修復についても話したかった〉、〈人を嫌いになるのは、対話が不可能になったとき〉、〈時が解決することもある。20年、30年後に修復する関係性もある。今無理に気持ちを決めることはないのかも〉、〈嫌いな人に会った時は祝福する。いい言葉だけを伝えたい〉などが語られました。

 

私個人の感想としては、「嫌い」は非常にプリミティブな感情でありつつ、私がこう生きたいと思う姿を強烈に映し出すネガのようなものだと感じました。それぞれの「嫌い」を語り合うことで、たくさんの理想の生き方のかたちを垣間見たように思います。

 

開始当初は、人を嫌うこと、またそれを表明することへの根強い罪悪感が対話の端々に顔を覗かせていました。ネガティブな感情と向き合い、オープンに語り合うことが普段いかに難しいか。それは人と人が共に生きる上で大切な礼節、ルールだからなのかもしれませんが、ときには価値判断から離れて自由に発言できる場所としての哲学カフェの貴重さを再確認しました。

 

哲学カフェは今後も月1回のペースで開催いたします。話すテーマや会場選び、進行方法など趣向を凝らして実りある対話に繋げていきたいと考えています。

 

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。