■ 第31回BunDoku哲学カフェ

 

テーマ:「自分らしさって何だろう」

日時:2017年01月21日(土)19:30~21:30

会場:ホルトホール(大分市)

参加者:25名

 

ファシリテーターの志水です。今年最初のBunDoku哲学カフェを開催いたしました。今回は初参加者合わせて25名の方々にお集まりいただき、たいへんありがとうございました。過去最高の参加者数での開催でした。

 

今回のテーマは「自分らしさって何だろう」

 

対話に入る前にみなさんの考えを聞いてみました。定義は他者に委ねられている、そんなものはなかった、ないといけないもの?全体と個の関係におけるもの、人と比較して分かるもの、いまの自分を否定することにつながる、理想像、抜け出せない沼、いま決めてはいけないもの、滲み出るものなどなど、さすがに20人を超えると多彩な考えが言表されて、交通整理をするとかえってその多様性を減じてしまうと判断し、みなさんの語るに任せました。

 

印象に残るキーワードがいくつかあって、外面的なものと内面的なもの、そしてその齟齬、自分らしさと個性の違い、プレゼンテーション、就職活動、ラベリング……。特に後半はラベリングすること、ラベリングされることの苦しさ不自由さについて語り合いました。

 

哲学カフェにおける対話も、他人を通して自分を知る行為であり、自分というものの不確実さ曖昧さ不思議さに揺れる時間であればいいなと密かに思いつつ、そこが強固な方や柔軟性のある方、ほんわかしている方、内向的、外向的といったことが、声の質感や大きさ、身振りから(残酷にも)発露される場でもあるなあとつくづく思いました。対話をするなかで参加者の社会に対する取り繕いが取り払われる瞬間を私は期待しているのかもしれません。

 

参加されたみなさま運営スタッフのみなさま、お疲れさまでした。楽しい会となりました。今後も月1回のペースで開催いたします。話すテーマや会場選び、進行方法など趣向を凝らして実りある対話に繋げていきたいと考えています。今後ともよろしくお願いします。

 

追記:普段、ファシリテーターがどんなことを考えて哲学カフェを運営しているのか開催報告に書くことはないのですが、今回は節目となると思ったので追記したいと思います。お時間ある方は読んでみてください。(以下はブログやツイッターから転載したものです)

 

昨日、本年最初の哲学カフェを開催しました。

過去最大数の参加申し込みがあり、ありがとうございました。

大人数での開催により、潜在的な課題のようなものが鮮明になったので、

今後対応すべく書き残しておきたいと思います。

 

 

大人数での哲学カフェを経験したことで、対話上の今まで放置してきた課題?やきちんと対応しないといけないことが、鮮明になったように思う。少人数だとアットホームな雰囲気のなかで、それらがうやむやになっていたのだろう。

 

哲学カフェなどの対話において、対話された内容を整理、分類し方向付けしていくことのメリット、デメリットとは。労力や能力の問題もあるけど、自分はそれをしないし、したくない。けどしてほしいという要望がそこそこある。参加者の誰かがそれをするのはいいと思うけど、ファシリが率先、先導してするのはどうなんだろう。

 

整理や分類、定義づけすることによって対話が収束するのは避けたいし、そこから外れた考えを除外したくはない。同じテーマでも話したい内容や興味、焦点はみんな違って、それを違ったまま保持して進んでいきたいと思う。曖昧になるかもしれないし、論点が複数あるのは深まりに欠けるかもしれないが。

 

と言いつつも、分類や整理も程度の問題かもしれない。昨日はすこしは整理した方が良かったかも。次回はホワイトボードを使って、すこしだけその要素をとりいれてみるか。哲カフェは、地図のある道を行くというより、地図なき道を彷徨するというのか、地図そのものを作る作業でありたいとは思う。

 

豊かな混乱。脳にいつもとは違う負荷がかかっているのを楽しみたい。線ではなく面で進む対話。行ったり戻ったりだけでなく、飛び火や思わぬところでの共鳴、沈黙や間、ためらい、既読スルーもある。なにより話し聴く過程で滲み出てしまうその人固有のもが僕には興味深い。

 

哲学カフェにおいては「分かる」ことが一番大事というわけではなく、それは副次的なもののような気がする。このあたりは共通理解は得にくいけど。ゴールはそこではなく、うまく言えないけど、それとは別のものを個人的には求めている。

 

 

ファシリテーターをしていると、たびたび対話の内容を整理するよう、分類するよう、ラベリングするよう、定義づけて方向づけるように求められることが多々あり、そのたびにどこまでやるべきなのか、労力や能力の問題も含めて戸惑うことがありました。

 

僕は基本的にはしたくはない立場ではありますが、それが対話を貧しくする細くするということを伝えるのが難しく、いままでは曖昧に濁していました。しかし、はっきりと向き合う必要があると思うし、それを語るのに時間が欲しいと思いました。整理するときは整理してみる、しないときははっきりとその旨を伝える。

 

共通理解を得るためではないけど、一度「対話とはなんなのか」「哲学カフェとはなにか」をテーマに話してみたいなと思いました。