■ 第3回BunDoku哲学カフェ開催報告

テーマ:「我々は〈幸福〉でなければならないのか?」

日 時:2014年9月21日(日)午前10:00〜13:00(12:00〜13:00ランチタイム)
会 場:カモシカ書店さん(大分市中央町)
参加者:21名

BunDoku哲学カフェ、ファシリテーターのシミズです。
第3回目のBunDoku哲学カフェを開催しました。今回のテーマは「我々は〈幸福〉でなければならないのか」。少しひねりのあるこのテーマそのものへの説明はあえてせず対話へと入っていきました。

半数近くが初参加者とあってか、冒頭は若干空気が固いように思えましたが、その後ゆっくりと離陸するかのように、言葉が行き交ういつもの哲学カフェになっていきました。


まず導入部として皆さんの幸福観を聞いたところ、「夏になると平和な日本に生きていることにしみじみ幸福を感じる」や「ふとんに入っているときの幸福」「ビールを飲んだときの至福」といったものから、「幸不幸は事象そのものにあるのではなく、とらえ方次第」「幸不幸は隣り合わせにある」「能力が十全にしかも他者に向かって発揮されている状態が幸福」「幸福は瞬間的なもの。“いま”にしか存在しない」いや「普遍的な持続している幸せもあるでしょう」と、それぞれが抱く幸福観・幸福のイメージが多角的に示され、それに対する反証もされていきました。
そして本題のテーマになっているカギ括弧付の〈幸福〉について。私から「自分の幸福だと思っているイメージは、メディアや国家が与えているものかもしれず、現実と与えられた幸福のイメージの齟齬やギャップに苦しんでいる人もいるのでは?」という問題提起をしました。それをある参加者は端的に「プログラムされた幸福」と呼び、こういった〈幸福〉には留意した態度が必要だと語りました。「プログラムされた幸福」「社会が規定する(してくる)幸福」「押し付けられた幸福」をめぐっての対話として、親の考える幸福と自分の考える幸福の大きなかい離、自分にとっての幸せと他者の思う幸せのズレに葛藤することもあるといった話が出ました。
一方で別の参加者からは「プログラムされた幸福でも良いのでは?それが他者へと働きかける唯一のきっかけになる」という提言もされました。(私はこれを聞いて言語やお金、労働といったことを何となく考えていました。敵の銃を奪って闘うという表現もありますが、規定された〈幸福〉を逆手にとることで他者との関わりの通路を見出すというイメージが鮮明に閃きました。それは言語もお金も労働も似ているのではと。我々を窮屈にし息苦しくするものが同時に他者にむかって開かれている「窓」となるような矛盾そのものを原動力とした概念を発見した気になりましたが、そのことには触れずじまいでした。)

私はそういう意味で、参加者の一人が挙げたサンテグ=ジュペリの言葉「人間の幸福は自由の中に存在するのではなく義務の甘受の中に存在する」を理解しました。
とは言え、また一方でこの「環境が規定してくる〈幸福〉」といったものにぴんときていない参加者も半数はいたのではないかと対話を聞きながら感じてもいました。この規定された〈幸福〉を肯定する人、否定する人、そもそも「え?プログラムされた〈幸福〉って何?」という3者がない交ぜになりながら対話が進んでいきました。私はこの状態をもっと鮮明にすべきであったと反省しています。


一旦休憩に入り、次の展開をどうすべきか考えていたのですが、対話を聞いていて幸福について考えるのにやはりどうしても「他者」は外せない要素だと思い、冒頭にあった「夏に太平洋戦争の話題がテレビなどで出ると今の平和の状況に安堵し、幸福だなあとしみじみ感じます」との参加者の発言をもう一度取り上げ、日本という範囲で考えると確かに平和だが、中東の状況などを見ると平和と言うことはできない。宮沢賢治の「世界全体が幸福にならない限り個人の幸福はあり得ない」という言葉を挙げて、個人の幸福と他者の幸福との関係について話題を振りました。

ある参加者は、新聞報道から自殺率の少ない村の例をとりあげ、そこは赤い羽根募金の集まりが悪かったり他人は他人、自分は自分といった個人主義が浸透していて「あまり他人を気にしすぎない方がいいのでは」といった話や「日本人は斟酌と忖度といった他人を慮る風土が強すぎる」といった話、逆に「他者の幸福を考えた時に自分も幸福をもらえる」「利他のこころが大事」というものから「ボランティア活動は他人のためというよりも自分が楽しいからやっている」という意見もあり、いつものように結論らしきものは出ませんが、ファシリテーターとしては幸福についてがっつり対話できたのではと思った次第です。

最後のランチタイムでは、幸福感をもたらすとも言われているセロトニンの分泌を促す成分が多く含まれている食材でつくられた「哲学的ワンプレート(幸福編)」がシェフより提供され、我々は必然的に幸福感に包まれ雑談も弾み、終幕へと至りました。

今回はランチライムも含めて3時間の哲学カフェとなり、対話の濃度は前回より深く、その分ファシリテーターとしての課題もたくさん出てきました。参加されたみなさま長丁場お疲れ様でした。ありがとうございました。

BunDoku哲学カフェは、今後も月1回くらいのペースで開催を予定しています。テーマはもちろん進行のあり方など趣向を凝らして対話しやすい場づくりに努めたいと考えています。今後ともよろしくお願いいたします。