■ 第5回BunDoku哲学カフェ開催報告


テーマ:「美しいとはなにか」

日 時:2014年11月24日(月・祝)19:00~21:30

会 場:TRAMさん(大分市中央町)
参加者:20名


BunDoku哲学カフェ、ファシリテーターのシミズです。
第5回目のBunDoku哲学カフェを開催いたしました。20名の参加者にお集まりいただきまして、たいへんありがとうございました。今回はいつもお世話になっているカモシカ書店さんではなく、町の隠れ家的ブック・バーであるTRAMさんにて開催してみました。空間の広さ狭さ、照明の明暗、席のレイアウトなどが変わるとまた対話の有り様も変わってくるのではという目論みです。
今回のテーマは「美しいとはなにか」。形容詞のお題は初ですね。感覚的なものですが、お互いの主観の牢獄を乗り越えてどれだけ対話ができるかなというところで私は臨みました。

まず直感的に感じる美しさと相対的な比較によって感じる美しさの違いや、外見的な美しさが内面的な美しさに通じているのかといったところから対話は始まりました。ある種の数学的法則から美を定義される方(黄金比率、均整、バランス)や、「一箇の魂が打ち震えるような感覚」「電気が走るような」「言語が解体される感覚」といったような文学的詩的な表現をされる方、また美は教育によって培われるといった社会学的な考察もありました。さらに時代による違い、文化による違い、人工物と自然の違い、綺麗との違い、所作振る舞いの美醜、年齢を経ると美しいと感じるものが増える、その人の成熟の度合いが測られるといったものから、そもそも美が幻想の産物であるといった意見もあれば、美しいことはそもそもいいことなのか、いや人は美しくありたいと意志的であれ無意識的であれ思っているはずだという根本から問い直す意見も出ました。
(今回も)うまくまとまらなかった、対話が散らかったと言えばそれまでですが、「美しい」というものの複雑な有り様が浮き彫りにされたのではと思いました。特に生物学的に考えて、生存本能にポジティブに根ざしたものだけではなく、悪や不健康、禁忌や乱調、死や心中といったものの中にさえ美を見出す人間の複雑さが一通り洗い出せたのではないでしょうか。
美しさは人それぞれという意見もありましたが、そこを最終結論とするのではなく、「人それぞれ」をいかに乗り越えるかが試された会であったようにも思えます。これからも「人それぞれ」の一歩手前で粘り強く踏み留まって考える場にしていきたいと思います。
今回場所を提供していただいたTRAMさんは、照明の暗さや室内の密閉感が丁度良く、初参加者にとっても話しやすい空間であったと思いました。TRAMさん特製のゴボウ・バーガーも段取りよく提供され美味しかったです。ありがとうございました。

BunDoku哲学カフェは、今後も月1回くらいのペースで開催を予定しています。
話すテーマはもちろんのこと、場の進行などにも趣向を凝らして、対話しやすい場づくりに努めたいと考えています。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。